RANDONNEUR PLUS PROJECT

ジャパニーズオデッセイ DAY4 フェリーに間に合うか?故障と補給の四国270㎞

総距離およそ2,300km、累積標高は最低46,000m、鹿児島県の桜島から長野県松本市を目指すウルトラロングライドイベント『ザ・ジャパニーズ・オデッセイ2025(TJO2025)』を走った落合佑介のウルトラロングなレポートをお届けします。 

 

■深夜3時20分 現状確認のためのコンビニ 

 

 

セグメント10「Kyobashira pass」の手前にある、ファミリーマート大豊店には午前3時20分ごろ到着した。私が置かれている現状を冷静に把握したくて、コンビニに立ち寄った。ここからの207kmは補給食を補充しなくても走れる距離ではある。予定走行時間は16時間半としていた。徳島港に近づくにつれてフェリー時刻を意識しやすくなってきている。フェリーの出発時刻は16時25分、18時55分、21時50分の3つまで絞ることができた。 

 

16時25分発は、ゴール後の個人的かつ大事な用事に間に合わせることを考えると、長野県松本市のゴールに到達できる理想的なプラン。18時55分発は今回最大の難所、セグメント12の進み具合次第で決まる。21時50分発は鳥羽市で1泊する必要があり、完走がほぼできないプランと予想した。予定走行時間通りだと徳島港の到着は19時20分となる。希望を捨てず、多少無理をしてでも18時55分のフェリーを目指すことにした。フェリーの出発まで残り15時間35分、乗船ギリギリでは厳しいので、15時間と少しの時間で走り切らなければならなかった。 

 

現状を把握すると、思ったよりお腹が空いていて、再スタートしても力が出ない危険があり、冷静な判断ができないと思い、補給することにした。と言っても、四国に入ってからはまだコンビニに2回立ち寄っただけで、ほとんど休んでいない。さらに深夜のコンビニ休憩直後は眠気を誘発しやすいため、短時間の仮眠を取ることにした。セグメント10はスタート直後に標高350mの登坂があり、その後すぐに下りに入るコースだったため、頂上に到着する頃には、安全でスピードも出せるように少しでも明るくならないかと調整した。 

 

 

 セグメント10 景色と時間帯に救われた区間 

 

 

セグメント10は、セグメントの中では楽しめた区間だ。何度も走った京柱峠への道のりだったので、飽き飽きしているかなと思っていた。でも、いつもと違う“酷道”439号線を上から眺め下ろせるコース設定だったため、いつもの山々を見上げて走る景色が全く違って新鮮だった。何より時間帯が良かった。日の出前、空が明るくなり始める時間から午前中にかけては、個人的に一番好きな時間帯だ。時の移ろいとともに、闇に包まれていた山道は少しずつ表情を変えていった。移り変わる写真もたくさん撮ることができた。 

 

残念だったのは、後半に林道から合流した酷道439号線だ。細い道を大きなトラックが行き交い、恐怖を感じてしまい、せっかくの雰囲気が台無しになった。もちろん、道路整備は必要なことであり、工事そのものを否定するつもりはない。 

 

 

京柱峠到着、そして再び登りへ 

 

 

 

8時半に京柱峠の頂上に到着した。次のセグメント11までのルートは、ほとんど選択肢がなく距離は35㎞、獲得標高約1,050mだ。 

 

ここからは星空が広がっていた夜とは打って変わり、空にはどんよりした灰色の雲が広がっている。標高1,100mから600mへ一気に下るため朝の寒さを覚悟していたが、下りの途中から晴れ間が見え始め、気温も徐々に上がってきた。そして、再び登坂が始まる。 

 

セグメント11 小島峠から始まる5つの峠 

 

 

セグメント11「Oshima Pass」のスタートは、小島峠の頂上で標高1,200m地点だ。 

ここから72kmで獲得標高2,400mという、相変わらず登りか下りしかないコースである。それでも多少は平地があるものだと思っていたが、この区間は一切なかったと言っても過言ではないだろう。峠と峠を結ぶ間の道でも下り切ると、多少の平地区間があるのが一般的だ。でも、今回は下っている途中で横道に入り、すぐに登り返すことを繰り返した。さらに4回連続して峠を越える構成だ。スタート地点の小島峠を含めると、合計5つの峠を越えることになる。獲得標高2,400mというのは、小島峠に向かうまでの獲得標高は入っていないのだ。 

 

どの峠の斜度も距離もそれぞれ異なるため、正確な想定時間は出しづらかったが、67時間と見積もった。小島峠の頂上を出発したのは11時頃。目標としている18時55分発のフェリーには、計算上は間に合うところまで挽回してきていた。 

 

ブレーキトラブル発生 走れるが、安心できない状態 

 

 

問題が発生した。 

いつからかは分からないが、前輪のブレーキパッドとローターが擦れ続けている。ブレーキパッドが元の位置に戻らなくなっていた。走行はできるものの、スピードには影響が出ているだろうが、ブレーキをかけても違和感はない。走行できないことはないが、パッドとローターのすり減り具合が気になる。 

 

修理を試みた。ブレーキパッドは携帯工具を使って元の位置に戻せたが、再びブレーキをかけると、接触した状態から戻らない。私の技量ではこれ以上の対処はできず、時間を使って修理をする時間的な余裕もない。前輪ブレーキを極力使わず、後輪のブレーキを多用して凌ぐしかない。徳島市内に行き、サイクルショップを探すしかなかった。 

 

徳島港のフェリー出発時刻に余裕をもって間に合えば、サイクルショップに立ち寄れるかもしれない。しかし、1本でも遅いフェリーになると完走は絶望的になるため、18時55分発の便は絶対に外せない。そもそも、徳島市内のサイクルショップが突然の持ち込みに対応してくれるのかも分からない。フェリーの時間がギリギリになり、急いで乗ることになれば、和歌山市到着は21時を過ぎる。営業しているサイクルショップはないだろう。その後は山中を走るため、サイクルショップというよりショップがほぼない。山中を抜けた三重県は、何度も訪れているため、土地勘はあるので、サイクルショップの位置はわかっている。でも時間的な余裕がもてるかどうかは走ってみないとわからない。最悪、土地勘の少ない愛知県まで、今の状態で走ることになるかもしれなかった。 

 

まずは、この5つの峠を越えて、時間的な余裕が持てることを確実にすることだ。 

 

東祖谷へ 登っては下り、精神を削られる峠越え 

 

 

縁もゆかりもないが同じ苗字というだけの落合集落を越えて東祖谷へ入る。 

再び酷道439号線を外れていく。酷道を走れば剣山方面へ向かって峠を越えて、さらに川井峠を越えれば徳島市まで行けるのだが、別ルートがチョイスされている。「酷道ってなんやねん。酷道の価値が薄れるわ」などと誰もいない山中で声を出して愚痴りながら、標高1,200mまで登る。愚痴りだしたのは、景色があまり良くなく、正直いまひとつな峠だったことも影響している。 

 

そこから一気に350mまで下る。「下りが長すぎる。今の状態で夜に来たくないセグメントだな。危険だし、眠気も誘発しそうだ」 

 

2つ目の峠に取りかかる。標高1,100mまで登り返して頂上へ。ここもほとんど林の中で、自分がどこを走っているのか分からなくなってくる。そして550mまで下る。距離は短いが、やはり夜は避けたい。 

 

3つ目の峠は標高1,050m。ため息を大きくつくほどの登り返しばかりだ。3大グランツールのブエルタ・ア・エスパーニャを見ているときのことを思い出す。特に「激坂」や「登り返し」の多い、厳しい山岳ステージで知られるレースで、山岳ステージを楽しみにしている視聴者も多いと思う。勾配が厳しい激しい上りや、下りの直後に再び激しい登りが現れるレイアウトが多くて、今まさに私が走っているコース(標高差はブエルタの方があったと思う)で、ウルトラロングのセグメントに組み込んでいることは、これまた狂気の沙汰である。 

 

道幅は比較的広くて明るいが、写真映えするほどではない。そこから180mまで大きく下る。今回の中で一番長い下りだ。 

 

4つ目の峠は標高600mで、数字だけ見れば一番楽だが、斜度がきつく、何もない林道の暗い道が続く。気分も上がらない。そこからまた250mまで下る。 

 

最後は標高800mまでの登りだ。斜度が厳しいというより、疲労感が一気に押し寄せてきてしんどさを感じるようになった。しかし、最後のプッシュタイムだ。時刻は16時、ついに最後の峠を登り切った。その後もアップダウンのある林道を猛プッシュする。 

 

フェリーまで残り2時間30分|修理の可能性を探る 

 

林道を抜けると、田舎道にはよくある狭い国道に出る。ここから徳島港まで残り45km。フェリー出発までは残り2時間30分だ。 

道のりは下り基調だが、1か所だけ登り返しがある。それでも新たなトラブルがなければフェリーには間に合うだろう。サイクルショップに立ち寄る場合は、寄り道する距離と待ち時間なしで修理できれば良いのだが、フェリーは時間ギリギリ過ぎると乗せてくれないこともあるので、余裕は必要だ。 

 

電波のない山中をしばらく下ってから電話をかけ始める。が、どのショップも、「予約でいっぱい」「定休日」「担当者不在」「ディスクブレーキ修理不可」「順番待ち」「持ってきて確認が必要」とすげない返事。修理の可能性が低そうなショップが唯一確認してもらえそうだったため、わずかな可能性を信じて行くしかなかった。幸い、予定コース上にあったのでロスタイムは少ない。 

 

チャージスポットとモスバーガー、そして修理不可 

 

まずチャージスポットの設置店に立ち寄り、今度は3台レンタルした。さらにモスバーガーでテイクアウトを注文。補給食だけでは補えない失ったカロリーを大量に回復する。急激なカロリー摂取は睡魔が襲うが、フェリーの中なので都合が良い。睡眠中にハンガーノックになって目覚めると、回復する時間を無駄に使ってしまったように思える。ハンバーガーは作るのに時間がかかりそうな種類を3個頼んだため、時間がかかることは織り込み済みだ。そのすぐ近くのモール1階にあるサイクルショップに修理を持ち込んだまでは良かったが、残念ながら修理不可だった。 

 

修理する手段がないため、モスバーガーのテイクアウトを受け取り、フェリー乗り場へ向かう。このままの状態で走るしかない。わずかに抵抗があるだろう前輪ブレーキは極力使わず、スピードを落として進むしかなかった。 

 

フェリー乗り場での再会と、短い休息 

 

 

 

フェリー乗り場では、塾の先生にお会いした。ここで出会った塾の先生は、ランドヌールでもある学生で、現在は塾で講師のアルバイトをしている方だ。 

わざわざ応援に来てくださったのだ。短い時間だったが、空腹に耐えきれず、美味しいポテトを頬張るという生徒としては大変失礼な態度になってしまい申し訳なかった。それでも笑顔で対応してくださった。授業の時間が迫っているとのことで、私よりも大切な塾生のために早々に立ち去られたが、こうしたひと時の交流は、交流が少なく、我が道を突き進む私にとって、心身ともにプラスにしかならない。 

 

フェリー乗船|睡眠と充電の確保 

 

定刻通りフェリーに乗り込み、急いで定位置であるコンセント横の寝床を確保する。睡眠時間の確保も重要だが、充電も重要だ。電動ポンプ以外はすべて残量が少ない。この日のために準備した急速充電器の3ポートと3つのレンタルモバイルバッテリーをフルに使って充電した。充電具合を気にしながらもぐっすりと仮眠を取った。 

 

下船後の判断|インターネットカフェへ 

 

フェリーの乗船時間は約2時間。 

下船時点で充電が完了していたのは、スマートフォン、サイクルコンピューターのiGP、LEOMO、リアライト、Di2だった。VOLT800NEOは満充電に4時間かかるし、VOLT400NEOはバッテリーを変えているため、不安が付きまとう。途中で切れるようなことがあれば暗闇で恐怖におびえるだろう私のことを考え、インターネットカフェで充電・洗濯・シャワーをすることにした。 

 

セグメント12次第で未来が決まる 

 

ここまでは、出発までに計画した予定の範囲内だ。そして、セグメント12で今後の展開が決まる。近畿ステージの目標は翌日の内に鳥羽港フェリーに乗ることだ。フェリーは24時間運航ではなく、最終便は17時40分なのだ。これに間に合えば高山市で1泊できる余裕が生まれるが、間に合わなければ翌日8時10分のフェリーに乗るしかなく、12時間以上のロスになる。それは中部ステージで自分自身を追い込む必要がある。九州、四国、近畿とウルトラロングな走り方を続けているため、リスクが高くなるため、できるだけ避けたい。 

 

ゴール後の現実|終電との戦い 

 

もしもゴールしても感傷に浸る余裕はない。ゴール日の翌朝には私情ではあるが、出席しなければいけない予定が入っている。出席しなければ職場だけでなく、家庭内の居場所、そしてRaod to RAAMも続けられなくなるだろう。 

ゴールの長野県松本市から自宅までの終電は19時7分。終電に間に合わなければ、ゴール後に112km先の中津川駅まで自走し、始発5時34分に乗れれば、当日中に間に合う。電車中も不安だ。乗り違えたり、寝過ごしたりする自信がすごくある。 

 

深夜の補給と再出発準備 

 

 

 

インターネットカフェでは、ドリンクバーとソフトクリームでカロリーと水分を補給しつつ、1時間半ほど仮眠した。0時に出発する予定だったが、前輪の調整や荷物整理に時間がかかってしまう。コンビニで持てる限りの補給食を購入し、パンも食べたが、満腹感が足りず不安がよぎる。近くのすき家に飛び込み、牛丼とカレーを特盛で注文した。お腹いっぱいになりすぎて睡魔が怖いが、ハンガーノックの方がもっと怖い。 

 

携帯用補給食だけでは必要なカロリーが足りないことは分かっている。ハンガーノックになる前に、カロリーを足して食いつないでいるだけだ。5時間前に徳島市で購入したハンバーガー3つとポテトのカロリーは、すでに回復に使われ、何も残っていなかった。 

 

 

 

DAY4は和歌山県和歌山市まで進み、258㎞を走った。  

 

日付が変わったころは、インターネットカフェの駐車場で、ブレーキパッドの修理中だった。