RANDONNEUR PLUS PROJECT

RAAM直前配信 RAW3日目 勝負の分かれ目

ライダーの落合です。

昨年6月に参戦したRAW、Race Across the Westのブログが完成しました!

何と10回分にもなってしまいました。

公開していきますので、よろしければご覧ください。

このタイミングでクラウドファンディングもしていますので、こちらもよろしければお願いします!

YouTubeもあります。

https://youtu.be/Fojq2T_lOBw

 

RAWについてはファンライド、Beyond magazine、オージーケーカブトのnoteでも投稿しています。

こちらでも振り返ります。

ファンライド:

落合佑介レポート/砂漠の1,500kmタイムトライアルレースRAW~最高の結果と見えてきた壁~(前編)

落合佑介レポート/砂漠の1,500kmタイムトライアルレースRAW~最高の結果と見えてきた壁~(中編)

落合佑介レポート/砂漠の1,500kmタイムトライアルレースRAW~最高の結果と見えてきた壁~(後編)

Beyond magazine:

砂漠の1,500㎞自転車レースを走った日本人。その先に見据えるものとは?【前編】

砂漠の1,500㎞自転車レースを走った日本人。その先に見据えるものとは?【後編】

オージーケーカブト:

ギネス記録の超ロングライダー・落合佑介さん(第1回)「アメリカ大陸1500㎞レースへの挑戦」

ギネス記録の超ロングライダー・落合佑介さん(第2回)「アメリカ西海岸1500㎞レースへの挑戦」~長距離を走る準備とは~

ギネス記録の超ロングライダー・落合佑介さん(第3回)「アメリカ西海岸1500㎞レースへの挑戦」~走行編(前編)~

ギネス記録の超ロングライダー・落合佑介さん(第4回)「アメリカ西海岸1500㎞レースへの挑戦」~走行編(後編)~(最終回)

 

 

 

 

3日目

 

 

何やら物音と香ばしいにおいがする。

クルーが起きて朝食を作り始めたのだろう。

私の身体は7時間ほど寝ると、自然に起きるようになっていた。

まだ眠たさは残っているが、時差ボケは僅かで抑えられている感覚だ。

レース当日までには直せそうだ。

 

朝食はパンとヨーグルト。

胃の調子が悪化することを想定して、ヨーグルトを今日も試しているが、美味しい。

アメリカには、不味いヨーグルトはないのではないかと思ってしまう。

 

 

 

 

朝食が手作りでなかった理由があった。

今日は受付の日。

コックはコックとしての役割を放棄し、クルーになっていた。

サポートカーの準備のため、忙しいのだ。

 

 

 

 

RAWの出走順が発表されたと聞いてチェックした。

私は全体の22番目、ソロでは16番目の12時22分にスタートすることになった。

何故か私の前が2分空いていた。

出発はルーキー順で、登録した日が出発日に近いライダーからになる。

R141、R140との間には誰も入らないはずだ。

R140 までがルーキーなので、そこで一区切りするのならわかるのだが。

謎は、今でも解明されていない。

 

注目する選手は

R23 Leah Goldstein選手  2021年RAAM優勝

R40 Mark Baloh選手  2019年PBP優勝、RAAM フィニッシュ8回、1000kmおよび 24 時間世界記録保持者、サイクリングコーチ

R161 Joe Barr選手  ウルトラロングでの優勝 https://www.teamjoebarr.com/races

経歴だけではとても適わない。

ちなみに私が出せる成績といえば、

2019年PBP21位、2017年、2018年、2019年The Japanese Oddyssey優勝だがレースカテゴリーではない。

(日本縦断ギネスレコードは2022年7月認定)

RAWのようなタイムトライアルレースには初参加だ。

把握しきれていないだけで、強い選手はほかにもたくさんいるだろうと予想して”一旦最下位まで落ちて、巻き上げていく”という作戦を思いついた。

最下位でゴールつもりは毛頭なかったが、自分にプレッシャーをかけず、精神的に安定を保つことができるのだ。

 

 

 

 

さて今日の予定は、受付をしてからスタートからパレード区間、そしてサポートカーに合流するまでの区間の試走である。

2019年までとは違い(参加していないのですべてはわからない)、オンライン化されているため、手続きはかなり省略されているようだ。

選手やクルーの合同ミーティングはない。

ゴール後のバンケットチケットもなかった。

さらに、受付する会場自体も違っているとのことだ。

 

 

 

会場へ到着すると、RACE ACROSS AMERICA、RACE ACROSS THE WESTのロゴが入ったトレーラーが目に入る。

レース中に必要のない荷物をゴール地点まで運んでくれるそうだ。

今回は全て車載するため、利用しなかった。

 

 

 

 

 

全員で受付に行くが、手続きは森脇チーフにお任せ。

チーフの役割でもある。

ルートブックやサポートカー用のシール等を受け取る。

 

 

 

 

クルーと私はその間に物販へ。

Tシャツの種類がすごく多く、テーブル一面に敷き詰めて置いてある。

RAWのゴールにも置かれているかなと思って、購入しなかった。

結局、RAWのゴール地点にはいなかったので購入できなかった。

現地で購入するかオンラインで購入するしかない。

 

 

 

 

 

お次はクルーによるサポートカーのおめかしタイム。

”今のところは”仲の良いクルーたち。

RAAMに出場するうえで重要な要素が、クルー、ライダーを含めたチーム全員のチームワークだ。

今回は感染症のためにRAAM参加を延期した経過もあり、長期に渡るチームビルディングをすることができた。

それが功を奏したのかそうでないのか。

果たして…RAAMが終わった後にはどちらに転んでいるのだろうか。

 

 

 

 

ライダーは遠くで遊ぶ。

密にならない様に、時間が分けられて受付をしている会場は、閑散としている。

人も少なければ車も多くはない。

もっとスケールが大きく人数も多いと思っていたが、感染症の影響はアメリカでも大きかった。

私の知る限り、サポートカーの車検はされなかった。

 

 

 

 

ライダーは試走に行けよ、と突っ込みが入ったが、楽しそうなので完成するまで見学。

 

 

 

受付から5分位のところにあるスタート地点へ移動。

オーシャンサイドにある桟橋で数少ない観光を楽しむ。

 

 

 

 

 

 

オーシャンサイドと言えば、木製の桟橋。

先端のお店の看板が無くなっている。

潰れたのかな?

 

 

 

 

 

桟橋のBAIT SHOPでお土産を探す。

荷物が多くなると、サポートカーのスペースに問題が生じるので、コンパクトでオーシャンサイドらしいものを購入。

オーシャンサイドという場所は一般的に有名なのか、桟橋以外何が有名なのかわかっていなかった。

RAAMやRAWの出場目指していたら有名かもしれないが、世間的には知られていないような気がしてきた。

 

 

 

 

鈴木家のブログで何度も見たスタート地点。

当時は、私がここに立つことになるとは思いもよらなかった。

やっとアメリカ横断に向けての本番用の練習ができる、と思うと気分も高まる。

だが、緊張感を感じているのは、ごく一部だけだ。

今日は休日。

水泳、サーフィン、釣り。

私の緊張感とは全く反対で、休日を楽しんでいる人たちばかりに見える。

ここにいる人たちはRAW、RAAMの参加者は少なく、殆どが観光客や住人だろう。

RAAMのチームが加われば増えるが、圧倒的速さで駆け抜けるため、私たちから4日後にスタートする。

まだ、オーシャンサイドに到着すらしていないであろう。

 

 

 

 

桟橋の先端まで行って帰ってくると、かなり時間が経ってしまった。

午前11時半、試走に出発するが、走り出して直ぐに空腹が襲ってくる。

昼食も食べず、補給食も持たずに走り出していた。

どこかで買えばよいかとも考えたが、自転車をロックする鍵を持っていなかった。

この辺りの治安はどうだろうかと考えてもわからないので、我慢して走ることに。

 

スタートから10㎞はパレード区間で、サイクリングロードを走る。

そこから、一般道路に出て走る。

 

 

 

そしてすぐに激坂。

1分ごとのスタートであれば、この直線で多くのライダーを目撃することになるだろう。

ライダーの実力を確認するには、ベストな場所だ。

 

 

 

珍しい。

標高がマイナスになる地域を走る。

 

今回はLEOMOとGARMINの2台を取り付けて走る。

LEOMOはサイクルコンピューターとしての機能をメインに使用し、音楽プレイヤーやメッセンジャーアプリも時によって使用するマルチな役割を担う。

日本縦断の時には、GARMINのGPSが測位ない地域があったため、地図アプリを使用してコースミスすることなく走ることができた。

GARMINはルート案内機能だけを使用した。

今回は不測の事態というよりも、私の不注意でルートミスをした。

 

サポートカーとの合流地点までのルート38㎞を確認したところで、ルート確認を終えた。

午後1時過ぎたが、ハンガーノックは思ったより進行していなかった。

ボトルの水はあまり飲んでいないが、止まるのめんどくさいなーとそのまま帰宅を目指すことに。

 

 

 

違うルートで帰ろうとするも、Mission Road、州道76号線で迷う。

果たして自転車が通っても良いルートなのだろうか。

日本のバイパスよりも広い道で、車道の脇も広いので走れそうだ。

時間の短縮よりも事故、違反は避けたかったので回避して、試走コースの道に合流した。

現地在住team kimuraの木村さんとやおさんに確認したところ、通行可能な道ということだった。

PBPで行ったフランスでも今回のアメリカでも日本でさえも自転車が走れかどうかの見分けがつかないことがある。

 

 

 

 

ヘリが近くを何度も往復してくるな、と思ったら山火事だ。

近くで山火事が原因となり、ヘリが出動するのは初めて見た。

この時はまだ、この出来事が今回のレースでのターニングポイントとなることを暗示しているとは思いもよらなかった。

 

 

 

 

宿に戻ると午後3時を過ぎていた。

クルーはまったり休憩しながら、思いつたら準備をしているようだ。

森脇チーフはパソコンを開いているなと思ったら、オンラインで手続き、不明なところを根本クルーに確認していた。

 

クルーの人数は、根本クルーを含めて4人を予定していた。

しかし、家庭の事情で不参加となり、オンラインでの力強いヘルプ役になった。

私も含めて、RAWにもRAAMにも参加したことのない者たちが現地で4人揃ったのだから、オンラインと言えど頼りになる助言役だった。

 

先ほどの山火事の話をしながら昼食。

今日はお肉とライス!

日本で食べるお米には勝てないが、食べれないことはない。

こんな食事がRAW中にもできたら5,000㎞走れそうな気がしてくる。

しかし、時間的に余裕をもって走れるわけではない。

ゆっくり食事している時間があるなら1㎜でも先に進みたい。

 

この日は80㎞と獲得標高981m。

ハンガーノックにもなっていたので、少し疲れが残った。

翌日は休養日にあてる予定をしていた。

アメリカに来て負荷をかけたトレーニングはしていなかったので、少しぐらいは良かったかもしれない。

 

「首の後ろ赤くなっているよ。」とクルーから一言。

見えない場所なので気付いていなかったが、ダメージが残ってしまった。

過去に一度も気にしたことがなく、日焼け止めを塗ったことがなかった。

未体験だった砂漠の日差しは厳しかったのか。

それとも暑さ対策として、日本では肌を隠してトレーニングしていたことが仇となってしまったのか。

こうなってしまってはシャワー、休憩をしつつ患部を冷やすしかなかった。

 

 

 

 

使用している日焼け止めはアグレッシブデザインのサンプロテクト ファイターだ。

汗で流れ落ちない日焼け止めとして知られていて、紫外線防止成分が肌に留まってくれるのでぬりなおさなくても良い。

しっかりぬらないと効果が発揮できないと言われていたので、今回は私の不注意が原因だ。

ぬれている部分とぬれていない部分で焼け方が全く違っていたのだ。

今までも何度も使っているので、効果が高い分ぬり直さず焼けるまで気付かなかった。

RAAMに向けてはこのような経験もプラスに考えるしかない。

 

 

 

 

 

 

この日は現地スポンサーをいただいているteam kimuraの木村さんとやおさんとともに、激励会へ。

オーシャンサイドらしい”オーシャンサイド”のお店、Oceanside BROILERへ。

現地人以外は感染症対策のため、野外での夕食。

ビールは今日まで、1杯だけ。

あれ?2杯飲んだかも。

地ビールの種類が豊富で楽しい。

昨日いただいたストーン・ブルーイングもとても有名だった。

3時間前の昼食でお肉を食べたばかりだったので、魚料理のCosta Rican Tilapia Piccataを注文。

白身魚とビールとみんなの軽快な会話を聞きながらの宴会は、とても良い気分だった。

アメリカを初めて走ってみて、日本との違い身にしみて感じたという話をした。

team kimuraで利用されている補給類を提供していただけることになった。

 

午後8時半には宿に戻り、休息。

日をまたぐ前には、就寝した。

 

 

つづく