RAAM直前配信 RAW振り返り 5日目 RAWスタートの日
ライダーの落合です。
昨年6月に参戦したRAW、Race Across the Westのブログが完成しました!
何と10回分にもなってしまいました。
公開していきますので、よろしければご覧ください。
このタイミングでクラウドファンディングもしていますので、こちらもよろしければお願いします!
YouTubeもあります。
RAWについてはファンライド、Beyond magazine、オージーケーカブトのnoteでも投稿しています。
こちらでも振り返ります。
ファンライド:
落合佑介レポート/砂漠の1,500kmタイムトライアルレースRAW~最高の結果と見えてきた壁~(前編)
落合佑介レポート/砂漠の1,500kmタイムトライアルレースRAW~最高の結果と見えてきた壁~(中編)
落合佑介レポート/砂漠の1,500kmタイムトライアルレースRAW~最高の結果と見えてきた壁~(後編)
Beyond magazine:
砂漠の1,500㎞自転車レースを走った日本人。その先に見据えるものとは?【前編】
砂漠の1,500㎞自転車レースを走った日本人。その先に見据えるものとは?【後編】
オージーケーカブト:
ギネス記録の超ロングライダー・落合佑介さん(第1回)「アメリカ大陸1500㎞レースへの挑戦」
ギネス記録の超ロングライダー・落合佑介さん(第2回)「アメリカ西海岸1500㎞レースへの挑戦」~長距離を走る準備とは~
ギネス記録の超ロングライダー・落合佑介さん(第3回)「アメリカ西海岸1500㎞レースへの挑戦」~走行編(前編)~
ギネス記録の超ロングライダー・落合佑介さん(第4回)「アメリカ西海岸1500㎞レースへの挑戦」~走行編(後編)~(最終回)
5日目
今日は遅めの9時前に起床。
今日もクルーが活動し始めてから起床。
しっかり眠れて時差ボケはない。
いつものスタイルで走れれば、RAWの間は睡眠しなくても走り通せるであろう。
いつも通りのローテーション。
今日は目玉焼きとウィンナー。
そして、いつもの実験中のヨーグルト。
今日も当たり。
補給食づくり。
リクエストのサンドイッチが大量に準備されている。
ブルベのスタートは、しっかり食べ、エネルギー満タンで出発する。
今日はしなくても良い。
35㎞以上走り、サポートカーに合流すれば、要求通りに食事が渡されるのだ。
習慣となった普段通りの朝食をする。
クルーと共にお世話になったお部屋の掃除。
さらに荷物の運び出しや積み込み。
を手伝うことなく見学する。
ここでも”休んでおけ”との指示なのだ。
これから60時間ほどかけて”遊ぶ”のだから。
少し行き過ぎた趣味だが、許容してもらえているのだ(違)。
11時にはオーシャンサイドのスタート地点に移動した。
コロナ前までは、ライダーとサポートカーが一緒にスタートするとのことだが、今年からはライダー単独に変わっていた。
サポートカーを止める駐車場は用意されていなかったのでパーキングへ。
ここでも出走時間直前まで”休んでおけ”との指示だ。
眠れることはないが、目を閉じて休息に努める。
今日も来てくれたteam kimuraのお2人。
私たちを応援に駆けつけてくれる数少ない方だ。
昼食、着替え等身辺整理を済ませて、サポートカーから出発。
もうRAWの先頭はスタートしている。
スタート地点に移動。
高まる緊張感…はあまりない。
スタートは一瞬で、勝負が決するわけではないので、意外とリラックスモードだったりする。
どちらかというと単独でスタートした後にいきなり迷わないか心配。
名前を呼ばれてスタート地点に。
アナウンスでは、縦断のことやチャリティー活動をしていることが放送され、拍手された。
私はGPSの説明を受ける。
「このGPSは触らなくて良い。今から上向きでGPSを入れておくから、必ずこっちの面を上にしておけよ。そうでないと反応しないから。」と言われた気がする。
12時22分
カウントダウン後にスタート。
ギャラリーはゲート付近に集まっていて、その後はまばら。
1つ目の曲がったところで、コースを見失う。
中央に設けられているゲートの間を走行するところを、普段のように右端の道で行ってしまいそうになる。
パレード区間のサイクリングロードまでは警察官?警備員による道案内がある。
交通違反をしないように慎重に進む。
違反は1時間のペナルティが課せられることがあるのだ。
スタートを見送ったクルーは、サポートカーに移動し、合流地点を目指す。
この頃はまだみんな元気だった。
一方、私は早速トラブルに見舞われる。
ヘルメット目掛けて大きな虫が入った。
蜂くらいのサイズだったので、急いで確認するが、大丈夫そう。
トラブル報告をクルーに入れたが、電波が悪くて聞き取りができなかったようだ。
大げさでないものに使用するのは、余計な心配をさせるだけだと感じた。
パレード区間のサイクリングロードでは、1つ前に出発した女性ライダーが見えてくる。
追い付けそうだが、距離を保ったまま進む。
抜いてはいけなかったはずだ。
パレード区間12㎞が終了すると、出口でスタッフに止められる。
時間が速すぎたのか、前のライダーとの差が近いのかわからなかったが停止させられた。
30秒ほど止まったあとにゴーサインが出たのでスタートした。
16㎞位走りったところで、思っていた通りの状況を目撃した。
急激な登坂区間で、ライダーたちは団子状態だ。
写真は試走時のものなのでライダーは写っていない。
順番に抜いていき、頂上付近で後ろを振り返ると、団子を抜いていくライダーが2名。
その後しばらく走ったくだりで、私も抜かれた。
INFINITY SEATのロゴが大きく入ったジャージであるため、Malko Baloh選手であることは一目瞭然だった。
さらに直ぐ後ろからきた体格の良い選手にも抜かされた。
この時はまだわかっていなかったが、Fabio選手だった。
レースさながらのスピードで抜かされたことから、歯が立たない選手がいると思い、闘争心はわかなかった。
ルート76を横切ろうとしたときに、バキバキに割れたiphoneを発見。
ライダーが止まって拾ったので、参加者が落としたのだろう。
出走早々悲惨な末路を辿ったスマートフォンだった。
私にはLEOMO社から提供いただいた、スピードメーター兼スマートフォンがしっかりとマウントされて、ストラップも付いているため、落とすことはほぼ無い。
落としたことはあるが、ソフトバンパーのクッションもあり、無事だった。
いずれにしろ、落としたライダーにしてみれば、今後の精神状態を悪化させる不安材料なのは間違いはない。
トラブルがないことは最優先事項だと改めて感じた。
38㎞のサポートカー合流地点では、先に到着したクルーが無線機の準備をして待っていた。
私はこの地点を7番目で通過した。
先頭グループは少しずつ距離が離れているようだ。
後方集団の先頭付近という位置付けだろうか。
先頭から最後尾までは10㎞位離れているようだ。
TS1のボレゴスプリングスまではアップダウンもあるのだが、100㎞かけて1,200mまで上り、20㎞かけて1,000mくだるというルートであった。
急こう配な坂道も何ヶ所かあることを確認していたため少し迷ったが、スタートから乗っていたmacchiからDE ROSAに乗り換えた。
クルーからは激励の言葉を受け、簡単な補給、トランシーバーを装着し、すぐさま再スタートした。
ここからが、本当のレースが始まったという感じがした。
今までもレースであったが、ここからはサポートが付く。
応援してくれる人たち(ほかのチームのクルーも)がいるのだ。
他の参加者を蹴落とすというよりも、お互いに応援しあっているところを見ると、今まで経験した日本でのレースとは違った。
かつて日本でレースに参加したことがあったが、先頭集団の活気あふれる罵倒し合う姿を見ていると、私が参加したかったのはこっちのレースだと改めて感じた。
ライダー同士、前後の距離が近く、サポートカーはサポートする場所の取り合いで大変のようだが、別チームのクルーも応援してくれる。
ライダーとしては気合が入るところであるが、ペースアップしてはならない。
応援される→ペースアップ→疲れが出てペースダウン、の構図を頭の中で意識させた。
そして、ライダーも1人2人は前後に確認することができる。
平地では抜かれることが多いが、斜面が急になるほど、私の方が速いようである。
普段から通勤で上り区間を入れている成果が出ているのだろうか。
ここでも、
前にライダー見える→ペースアップ→疲れが出てペースダウン、の構図を頭の中で意識させていく。
60㎞地点位の危険個所と目されていた、グレーチングのあるくだりを通過すると、リンコンという町にたどり着く。
急な登坂に差し掛かる。
パロマー山南側の76号線を上りだす。
8㎞平均勾配は6,2%だ。
6位に浮上していたものの、5位との差は10㎞あった。
姿は見えていなかったが後でスタートしたR23のサポートカーが前後をウロウロしているので、7位との差はないのだろう。
女性のトップライダーと競っていた。
彼女のサポートカーは短い距離でストップを繰り返す。
サポートカーが駐車できるスペースがある場所では、全て止まっているようだ。
主に女性2人が下りてきて、その手にはボトルとスポンジを持ってくる。
ボトルは交換ではなく、その場で渡して直ぐに捨てさせていたと聞いた。
昨年のRAAM優勝者のサポートを聞いて、私のクルーにもお願いしてみようか迷ったが、必要ないと判断した。
ボトルに関しては中身も加えると重いので少しでも軽い方が良かったが、水をかけられるとパッドまで染みてしまう可能性が高いため、1度だけチャレンジして止めた。
そこまで気温は高くないと感じたし、坂道をゆっくり、マイペースに上っているだけだったので、必要としなかった。
上り口では視界に入ってきていたR23だったが、上り区間は私の方が速かった。
頂上付近では、後ろを振り返っても、視界に入ることは無かった。
おかげで、落ち着いて上ることができた。
上り区間が終了すると、TS1を目指し、長い下りに入る。
20㎞で1,000mもくだってしまう、とてももったいない区間だ。
そしてRAW本番を思わせる砂漠が目に入り、気温もガラリと変わる。
サポートカーが何台か連なり、前に行けない。
仕方ないので後ろからゆっくりくだる。
序盤であせる意味はない。
サポートカーは先に先行していた。
まだまだ明るい午後6時くらいの時間であったが、夜間のダイレクトフォローに備えて、ガソリンを給油するためだ。
このとき失敗したのが、水分補給だ。
暑さは想定していた通りだったが、サポートカーが追いついて来るのに15分以上も時間がかかった。
ボトルの水は飲み干し、喉が干からびていたが、無線連絡が入ってこない。
頂上までにボトル満タンにしておくべきだった。
リザルト上では7位でTS1を通過した。
女性のライダーに抜かれた記憶はないので、6位だったのかもしれない。
センサーでの測定ではなく、オンラインチェックインのため、誤差は生じるのだろう。
TS1を過ぎるとしばらくして午後7時を過ぎた。
ここからはダイレクトサポートの時間で、ローカルタイム午後7時から翌7時まで続く。
夜間は安全のため、ライダーのうしろにサポートカーがついて走ることなる。
午後7時まではリープフロッグと言って、サポートカーは蛙飛び方式で路肩に止めて、ライダーに手渡していた。
午後7時からは走行中のライダーにサポートカーが横付けして、窓から補給食を渡すことになる。
横付けは1時間に4回までと、細かいところまでルールで決められている。
先頭集団は短く休憩したライダーもいて、団子状態から一列均等に広がっていったた。
さらにソルトン湖の南側を走っていると、前方に3人視界に入るようになった。
走っている最中は差が縮まるようには見受けられなかったが、TS2ブロウリーの街で一人、その先で一人、もう一人と休憩に入った。
と思ったら後ろから一人抜かれた。
と思ったらすぐに休憩のためストップ。
結局私は午後9時過ぎに3位へと順位を上げたのだ。
日が暮れていて、サポートカーが何台も止まっているので、視界に入ってくるのはライダーかどうかはわからない。
クルーからの情報では”抜いた”との声がかかる。
TS2ブロウリーの町を抜けると、街灯も何もない暗闇の砂漠に突入した。
噂だが、以前RAAMに出場した鈴木さんが救急搬送された地点がある、とのことだった。
取り合えず、1年目で偉大なる鈴木さんの記録を超えることができたようだ。
先人の失敗談を惜しみなく伝えてくれた鈴木さんには感謝している。
情報がないまま走っていたら、私がその役目を果たしていたかもしれない。
つづく