RAAM直前 RAW振り返り 7日目 ブラジル対日本
ライダーの落合です。
昨年6月に参戦したRAW、Race Across the Westのブログが完成しました!
何と10回分にもなってしまいました。
公開していきますので、よろしければご覧ください。
このタイミングでクラウドファンディングもしていますので、こちらもよろしければお願いします!
YouTubeもあります。
RAWについてはファンライド、Beyond magazine、オージーケーカブトのnoteでも投稿しています。
こちらでも振り返ります。
ファンライド:
落合佑介レポート/砂漠の1,500kmタイムトライアルレースRAW~最高の結果と見えてきた壁~(前編)
落合佑介レポート/砂漠の1,500kmタイムトライアルレースRAW~最高の結果と見えてきた壁~(中編)
落合佑介レポート/砂漠の1,500kmタイムトライアルレースRAW~最高の結果と見えてきた壁~(後編)
Beyond magazine:
砂漠の1,500㎞自転車レースを走った日本人。その先に見据えるものとは?【前編】
砂漠の1,500㎞自転車レースを走った日本人。その先に見据えるものとは?【後編】
オージーケーカブト:
ギネス記録の超ロングライダー・落合佑介さん(第1回)「アメリカ大陸1500㎞レースへの挑戦」
ギネス記録の超ロングライダー・落合佑介さん(第2回)「アメリカ西海岸1500㎞レースへの挑戦」~長距離を走る準備とは~
ギネス記録の超ロングライダー・落合佑介さん(第3回)「アメリカ西海岸1500㎞レースへの挑戦」~走行編(前編)~
ギネス記録の超ロングライダー・落合佑介さん(第4回)「アメリカ西海岸1500㎞レースへの挑戦」~走行編(後編)~(最終回)
7日目
日中では40度を超える炎天下の砂漠を走り、夜中には10度くらいに下がってしまう標高2,000m以上の峠を越える。
日本では経験したことのない気温差を経験できている。
RAWの環境は、RAAMを目指すのには必要な試練た。
服を着こんでしまい、ロスタイムはあったが、経験できていることは肯定的に考えられる。
シャトル地点までは着こまずに走りたいと思っていが、それはできそうにないという結論に至れた。
シャトルとは、今回の場合、TS9フラッグスタッフの先で山火事が発生したための迂回路をサポートカーで移動することだ。
迂回路なので当然距離が延びるが、日本とは規模が違って80㎞も距離が増えることになる。
そのため、ある地点まで車で移動して延びた距離を減らし、再スタートするのだ。
今回は、TS9がウィンズローという町に変更された。
この区間に関しては、睡眠が取れるので嬉しいというのがライダーの考えだろう。
しかし、私はまだ寝る計画ではなかった。
そのため、ライバルライダーが休んでいる間に差を詰めようとしていたチームの作戦は失敗となった。
さらにTS9、そしてTS10のチューバシティまではくだりメインだったので、体力回復にもなる予定だった。
あとで確認したところ、シャトル開始地点では標高1973mだったのが、シャトル終了地点では1462mまでくだりだった。
さらにTS9からTS10の迂回路はスケールの大きなアップダウンが繰り返されたため、プラス要素はなかった。
ここも肯定的に捉えておきたい。
不測の事態の練習になったということだ。
ハザードライトを光らせたサポートカーと、カーブの度に現れるライダーが見えてきた。
電波が入らないエリアということもあり、クルーからは情報はなかった(聞いていなかった?)。
チームで出場しているライダーかと思い、気にしない様にしていた。
ソロ2位とは、TS8のキャンプヴェルデで30㎞もの差を付けられていたので、ファビオ選手ではないはずだった。
しかし、1時間以上の休憩をしていたとのことで、距離が一気に縮まったのだ。
様子を見ながら近づいたが、頂上に到着してしまった。
下りに入ると一気に見えなくなったしまった。
真夜中の下りは、動物と衝突する危険性があり速くは走りたくない。
さらにのぼりで出た汗が冷えだし、寒くなる。
87号線の下り途中、アリゾナ州パッピージャックの分岐点、フラッグスタッフへ向かう道で停止した。
真夜中で何も見えないわけではなく本当に何もないただの分岐点だ。
ファビオ選手のサポートカーがいてもおかしくないと思っていたが、いなかった。
段取りよくサポートカーに自転車ごと収容された。
1人と1台が追加されたので、かなり狭くなる。
それでも私の寝床が確保されており、靴と靴下を脱いで就寝となった。
シャトル区間が終わろうとする10分前に起こされる。
寝ぼけながら靴と靴下を履く。
ドライバーの丸田クルーと助手席の森脇チーフは必死にナビをしている。
電波がほぼ入らない状況下で、見ず知らずの土地を制限速度めいっぱいで運転している。
速度差や曲がり角1つ間違うだけで、ライダーのタイム差に直結するので、緊張感のある運転ドライビングテクニックだ。
迂回ルートはスタートしてから発表されたので、私はコースを知らない。
知る時間があるのであれば、睡眠を選択するのだ。
約1時間半の休憩を経て午前2時半に到着したのは、ウィンズローという町の郊外だった。
降り立ったときには、真夜中ということもあり砂漠、アスファルトの道しか見えなかった。
もちろん街灯はない。
頓所クルーから「あの方向に100㎞走って」と言われた満面の笑みは、私にクルーの資質を疑わせるものだった。
「意味が分からない。」
10分前に起きたばかりの私に、この砂漠の間の道を100㎞走れとかよくわからない状況だ。
それに方向感覚もない。
止まっていても仕方がないの出発する。
走り出すと状況を理解し出す。
今はRAWというレース中だった。
寝起き10分後で全てを把握するのは難しい状況であった。
そしてまたのぼってはくだっての繰り返しだ。
予習ができていないため、どうなっていくのかさっぱりわからない。
1,400mまで標高がさがっていたのが分かったのは、日本に帰ってからだ。
シャトル区間を寝ていた私には、シャトル区間の高低差は余程気温が違わないと理解できない。
そんなにくだっていないのに、またのぼりが続いていて、どこまでものぼっていかなければならないように見えたため、疲労が増していった。
「ファビオ選手、ミスコースして後ろにいるよ。」
シャトル地点からスタートして2位に浮上していたことを知った。
朗報なのであるが、これからの計画も立てにくくなり、状況のわからないのぼりで速度も上がらず苦しんでいたので素直に喜べなかった。
そればかりか「抜かれると思います」と、冷静に返答している。
マイナス思考と自分にプレッシャーをかけずメンタルを安定させるため、返答した。
このあと予測通りの展開となった。
夜が明け、壮大な景色の全貌が明らかになってきた。
頓所クルーが言った通り、どれだけ進んでも、曲がり角さえない道が続いていた。
ほぼ直線ではあるものの、スケールの大きなアップダウンが続いて先は見通せなかった。
北に向かって走っていて、東側には大きな岩山がある。
岩山の長い影で日陰の時が多い。
その日が当たらない場所とくだりで冷えて寒い。
陽が当たる場所とのぼりは暑くなって汗をかく。
ウィンドブレーカーを着たり脱いだりしながら調整していく。
初日と2日目の朝では、身体が感じる気温について違いが出て、調整しにくい。
何度も着たり脱いだりして時間をロスしてしまう。
クルーから生のニンジンを渡された。
馬のようにもっと速く走れという合図だろうか。
コリコリしてて美味い。
サンドウィッチよりは食べたくなるかも。
その効果もなく、後ろからファビオ選手とサポートカーの姿を目視することができるようになった。
TS9で10㎞位付いてた差が、60㎞走ったところで追いつかれたのだ。
そのままの勢いで抜かれた。
40㎞/hはでていたのではないだろうか。
「これは適わないな。」と再び思わされる一方、「あんなスピードで1,500㎞も走り切れるわけがない。」とも思えた。
意外と落ち着いている自分を見つめ、今置かれている現状から走り続けることを止めた。
「10分寝ます。」
今となれば、10分は短すぎ、30分でも良かったと思う。
しかし、RAWの計画では元々休憩の計画をしていなかった。
そのため、10分にしたのだ。
RAW練 第2弾 1000㎞徳島 Granfond Stage. Final SHIKOKUブログでも書いているようにRAW用に短時間睡眠をブルベでも試していた。
速度が上がらない時、テンションが下がっている時に気分転換として取り入れていた。
体力の回復を狙っているわけではないのだ。
一番苦手としている朝方に睡眠を取るというのも利点がある。
夜中に眠くなれば、何度か睡眠を繰り返さなければならない可能性がある。
シャトル区間があったことで、走行中に眠くなることは無かった。
暖かさが確保できないと再スタートがしにくくなる。
サポートカーがあると油断してはいけない。
車内の温度設定を決めて、身体が冷え切ってしまわないようにしなければならない。
RAAMのような距離になるのであれば、睡眠は30分~1時間を選択するべきだと思っているので休む時間も要注意だ。
これは私の経験に即したチームの作戦になるが、RAAMでは止まる=睡眠がほとんどとしたいのだ。
日常生活でできるものは自転車の上で行い、少しでも早く前に進みたい。
どうしてもできないのはトイレ。
必要最低限、できるだけ回数も抑えたいので、膀胱がパンパンになるまで粘っている。
そして、トイレに行くまでの導線も最短にしたい。
PBPはPCが大きすぎて、移動に時間がかかる。
チェックして、トイレ行くだけでも15分は失ってしまう。
もったいない。
10分の睡眠では、しっかり意識を失って眠ることができた。
スッキリしたとは言えないが、気分転換はできている。
何よりファビオ選手が目の前にいて、追いかけなければならないというプレッシャーから解放された。
この後は自分の走りができるのだ。
太陽が昇るにつれて気温がぐんぐん上がっていった。
標高は1,600mから1,900m辺りなので、下界の暑さはなく走りやすい。
しかし、道が悪い。
アスファルトの亀裂を補修しているのだが、補修箇所が盛り上がり、ガタガタする。
それに、道全体が凸凹しているところもあるので避けようがない。
じわじわと身体にダメージを与えてくれる。
RAAMではこの道は走りたくない。
鈴木家の情報では、迂回ではない場合のTS9からナバホ自治区までの下りは圧巻らしいので、走りたい。
http://zuccha.blogspot.com/2017/07/2016raw14.html
正午ごろTS10チューバシティを通過した。
勢いよく抜かれたファビオ選手が、休憩していた。
2位に上がったのだが、何故かここで”ファビオ選手に勝った。しばらく休むだろう。”とクルーに伝えていた。
今までのライダーがそうだったように、休憩に入る=今後は抜かれない、という構図を勝手に思い描いていたのだ。
チューバシティーからの道のりは、再びのぼりだ。
と言っても80㎞で、1,500mから2,000m、平均1%しかないのだが、地味に堪える。
80㎞を3時間20分で走っているという記録が残っていたので、まだまだ衰えていない。
その道中では、ガソリンスタンドに寄った。
TS8キャンプヴェルデを過ぎて夕刻になって以降、ダイレクトサポート区間が続いていた。
TS9ウィンズローからの道の途中で陽は昇ったが、引き続きダイレクトサポートの指示がオーガナイザーからあった。
これから向かうナバホ自治区は、危険性を考慮して日中でもダイレクトサポート。
そしてその後夜間に突入するため、ダイレクトサポートになる。
積載できるガソリン量もあり、ライダーも一緒に止まるしか選択肢はなかった。
トイレを済ませ、することのない私は、給油、買い出し、トイレと世話しなく動くクルーを前に、注文したかき氷アイスを食べて身体を冷やしていた。
この日の気温は最高気温46℃にも達していたのだ。
クルーが選んだのは原色の3色アイスだった。
アメリカで食べた唯一のアイスの味は濃かった。
TS11カエンタからTS12メキシカンハット、それを過ぎると、ナバホ自治区だ。
周囲の景色がだんだんと変化する。
モニュメントバレーに到着したのだ。
果てしなく続く赤茶色の大地に、幾つもの巨大な岩山がそびえ立っていた。
その景色は自然の芸術というのにふさわしかった。
レースであることを忘れて、楽しみ出した。
午後8時、辺りも暗くなったころでブラフという町でトイレに寄った。
5分程経過したのだが、出てきたところでクルーから「ファビオ選手に抜かれた。」と興奮しながら話しかけられた。
状況が理解できずにびっくりした。
それは、チューバシティーから電波状況が良くなく、正確な情報が得られていなかったからだった。
2時間くらい後ろにいると思っていたが、刻々と差を詰められ、TS11メキシカンハットでは10分差だったのだ。
TS10チューバシティからTS11カエンタまで80㎞は1%以下ののぼりなのだが、以降は140㎞間で200mのぼるだけで残りは平地とくだりなのだ。
圧倒的な平地の速さで走っていたファビオ選手に対して油断をしていたのだ。
若しくは、そういう緊張感から解放されて走りたいという私の思いがあったのだ。
おかげでここまで楽しめたのも事実だ。
ゴールまで残り距離170㎞位とわかっていたが、残りのマップをあまり予習ができていなかったため、「勝てないな。」と勝手に思い込み、マイペースで走ることを宣告した。
午後9時半にTS13モンテズーマを通過する。
私の気分の高揚はあったのか、ファビオ選手のペースが上がらなかったのか、視界にとらえるようになってきた。
視界に入る時はのぼりの頂上付近だったため、気にはしていないつもりだが、目に入るので追ってしまう。
はっきりとした山岳ではないのだが、1%、時折3~5%ののぼり、そしてのぼり返しと安定しない地形となった。
そして徐々に差が縮まっていった。
午後11時ついにファビオ選手に追いついた。
追い付いたが、どうやって抜くのかわからない。
ここまでサポートカーの付いたライダーを一人も抜いていなかったのだ。
追いついたペースそのままに、サポートカーの左側から前に出て、ファビオ選手に挨拶して抜こうとした。
しかし、そのペースはファビオ選手と並走するような形となった。
業を煮やしたのか、ファビオ選手が勢いよく前に出て、差が広まってしまった。
呆然としている私の左側からファビオ選手のサポートカーが抜いていった。
その差が広がっていくかと思われたが、広がらなかった。
状況が把握できずにいたため、ボトルを手に取りグランフォンドウォーターを飲んで、クルーを呼ぶ。
冷静ではない可能性がある私よりも、その瞬間を後ろから目の当たりにしているクルーの意見を聞こうとした。
クルーと作戦会議の開始だ。
つづく