RANDONNEUR PLUS PROJECT

RAAM直前 RAW振り返り 8日目 決着!

ライダーの落合です。

昨年6月に参戦したRAW、Race Across the Westのブログが完成しました!

何と10回分にもなってしまいました。

公開していきますので、よろしければご覧ください。

このタイミングでクラウドファンディングもしていますので、こちらもよろしければお願いします!

YouTubeもあります。

https://youtu.be/Fojq2T_lOBw

 

 

RAWについてはファンライド、Beyond magazine、オージーケーカブトのnoteでも投稿しています。

こちらでも振り返ります。

ファンライド:

落合佑介レポート/砂漠の1,500kmタイムトライアルレースRAW~最高の結果と見えてきた壁~(前編)

落合佑介レポート/砂漠の1,500kmタイムトライアルレースRAW~最高の結果と見えてきた壁~(中編)

落合佑介レポート/砂漠の1,500kmタイムトライアルレースRAW~最高の結果と見えてきた壁~(後編)

Beyond magazine:

砂漠の1,500㎞自転車レースを走った日本人。その先に見据えるものとは?【前編】

砂漠の1,500㎞自転車レースを走った日本人。その先に見据えるものとは?【後編】

オージーケーカブト:

ギネス記録の超ロングライダー・落合佑介さん(第1回)「アメリカ大陸1500㎞レースへの挑戦」

ギネス記録の超ロングライダー・落合佑介さん(第2回)「アメリカ西海岸1500㎞レースへの挑戦」~長距離を走る準備とは~

ギネス記録の超ロングライダー・落合佑介さん(第3回)「アメリカ西海岸1500㎞レースへの挑戦」~走行編(前編)~

ギネス記録の超ロングライダー・落合佑介さん(第4回)「アメリカ西海岸1500㎞レースへの挑戦」~走行編(後編)~(最終回)

 

 

 

 

8日目

 

 

 

ファビオ選手との差を開かせ、サポートカーと状況を確認する。ルール上30m開けなければならないが、なかなか難しい。

作戦会議中にもファビオ選手との差が詰まったり開いたりしており、全く自分のペースで走れない。

さらに電波の少ない状況での作戦会議は、情報収集が難しく、全体を把握するのに時間がかかる。

ゴールまでは130㎞、100㎞はダラダラと1,700mのぼりやアップダウンを繰り返し、最高地点2,600mを目指す。

残り30㎞は600mくだり、ゴールのデュランゴに到着する。

 

ファビオ選手は平地での走行速度は速く、勝てない。

くだりも体重が重い相手には勝てない。

RAWにもRAAMにも出場し、ゴールしているベテランレーサー。

唯一私が勝てる要素はのぼりで差をつけることだった。

先ほどの追い抜きは斜度の低いのぼりだったのでファビオ選手が有利な地形だったのだ。

相手は休憩を入れていて、私は全く休んでいないのだが、私のスタイルを貫きたいので勝負の要素にしたくはない。

私自身、1,500㎞でレースを終えるつもりで走っておらず、5,000㎞のRAAM本番を想定して走っていたので、体力は残してた。

勝負する=5,000㎞を走る体力は無くなるということなので、想定外のレースをしなければならない。

RAAM本番でも起こりえるかもしれない自体だったので、チャレンジしてみることにした。

 

勝負するには、乗っていたmacchiを山岳用に準備していたDE ROSAに乗り換えること、真夜中のくだりに向けたジャージの準備、補給食の摂取、グランフォンドウォーターの補充、このような展開を予想してか供えられていたBOOST SHOTを飲んでおく等、ここからは止まることができないので、クルーを含めて身辺整理が必要だった。

 

一旦停止しバイク交換。

ファビオ選手のサポートカーが見えなくなるまで差が開いた。

停車時間は2分55秒だった。

クルーとの会話で、”めんどくさい”と発した。

気分が高揚している。

ここから追走、追い越し、引き離しの開始。

およそ1,370㎞走り終えて、残り130㎞、1,000mのぼるレースと聞くと

 

”やりたくない”

 

の一言。

 

順位が上がることは嬉しいが、私が4分前にスタートしていたため、前に出たとしても長時間逃げ続ける必要がある。

相手が諦めて2位安全圏内のタイム差が開ければ良いが、追われた場合はおよそ100㎞を必死に逃げ続けならない。

それだけは避けたいが、同じカテゴリーのファビオ選手とは、総合2位、Under50優勝の両方をかけて競わなければなくなる。

私もファビオ選手も必死になる可能性が十分にあった。

RAWは練習、という位置付けでしたが、その時点ではやる気満々になっていた。

 

しばらく走ると、道路脇で何かが動いた。

馬だ。

飛び出して来たら危ないので、道の中央寄りに走る。

今度はグレーチングだ。

スピードも出ていないので慣れたように交わす。

今度は道路を塞ぐように何かが動いた。

咄嗟に手を上げてサポートカーを呼ぶ。

サポートカーが危険性を確認するためにヘッドライトを上向きにした。

道路上を横断する馬が複数いたのだ。

日本でも動物の襲来はある。

馬はまだ体験したことがなかった。

集中している時間帯だったので良かったが、ペースは遅くなった。

 

 

 

最後の州、コロラド州に入りしばらく走ると、ファビオ選手のサポートカーが遠くに見えてきた。

のぼりの頂上付近に見えて、消えて、またのぼりの頂上付近に見えて、を繰り返すため、焦る気持ちがある。

ライダーの後ろに走っているサポートカーしか見えないため、ライダーは本当にいるのか?サポートカーは2台いて、実はもっと先行しているのではないかと考えてしまう。

斜度が低い区間が長かったため、時間はかかったが、1時間後には近づいているのがわかり、サポートカーの前にファビオ選手がいることを目視できるようになった。

追い付き、食料を補給。BOOST SHOTを飲んで息を整える。

勾配の緩やかなのぼりだったので、少し戸惑ったが、急勾配がいつになるのかファビオ選手のサポートカーで見えないため、加速して抜くことにした。

 

 

 

そして、徐々にスピードを上げ、ファビオ選手のサポートカーの左から追い越し、そのままファビオ選手も引き離しにかかった。

その勢いには、急には反応できないファビオ選手だったが、サポートカーのライトの中に、ダンシングしてくるライトを感じた。

”追われている。緩めるわけにはいかない。”

咄嗟に追いかけられていることを感じた。

斜度のきつい坂だ。

チャンスだ。

しかし、1分頑張ったところで、平地の戻る。

「あ、やばい、ライトの光量を上げていなかった。」

50ルーメンで走っていた私を助けたのは、我がサポートカーを運転する丸田クルー。

下ハンドルを持って、必死にもがいている私はライトの光量を変更することさえままならない状況だったが、私とファビオ選手の間に入り、くだり道を照らしてくれた。

 

 

 

一旦の平地はまたのぼりに変わる。

ダンシングとシッティングを繰り返しながらのぼり続ける。

急勾配が続けば、私の方が有利だが、アップダウンが連続すると、勢いのまま距離を縮められてしまいそう。

クルーより〇秒、△秒、×メートル、離れた、いや追いついてきたと報告を受ける。

目まぐるしく変わる状況に情報が錯綜する。

ファビオ選手が譲るつもりがないことはかわる。

私がファビオ選手との距離を離せないため、最悪の展開になった。

「イーブンペースで進め。そうすれば離れていく。」

クルーから声がかかる。

もちろん出し切るような走りはまだまだできない。

力みすぎないようにしながら、いつもよりは早く走る。

そう心掛けながらのぼる。

差が開かないが、力みすぎると私が力尽きてしまう。

私の方が有利に立てている、仕掛けられても反撃できる体制を整えておく。

「はい。きちゃいましたね。」

4度クルーから声がかかる。

「また下がりましたね。」

どういう状況なのか???

よくわからない。

苦しいが、少し頑張るしかない。

 

 

 

30分経った。

行く手を阻むのは、暗闇から突然やってくる強烈な向かい風と下り坂。

味方してくれるのは、こちらも突然やってくる急激なのぼり坂と砂利道。

私は苦しいが、ファビオ選手の方が苦しいだろう。

砂利道は普段の通勤路程度だし、神戸のブルベ、Vate Tudoで鍛えられている。

「がんばれー、頑張った。」クルーから激励が飛ぶ。

段々と差の報告は入らなくなる。

 

 

 

差が開いたから補給できるよと。

もう40分も経過している。

「残り100㎞切ったよ。」

長い・・・

「宗谷の風に比べれれば大したことない。」

「また近づいてきた。」もう45分経過。

1つ目のくだりで約55分経過し、ファビオ選手は見えなくなったようだ。

1時間で1㎞開いた。

 

これだけ飛ばすと、疲労から眠気がくる心配もある。

クルーはUFOを見たようだ。

非常に疲労している。

 

TS13コルテス町に入る前には左折する信号がある。

信号のタイムさえ大きい。

運が必要だったが、運よくほぼ停止せず変わった。

 

ファビオ選手は目視できないところまできたようだが、私のGPSが更新しなくなっている。

原因は不明で、一旦サポートカーに回収されるもわからず。

ファビオ選手が信号の交差点に到着。

GPSを信じると、10分差。

暫く下ったあと平地が続くため、詰められるだろう。

 

夜のコルテスの街を走る。

信号はいくつもあったが、上手く抜けれた。

残り70㎞、クルーから3分差と報告。

残りのぼりは35㎞で600m。

このままでは負ける。

 

TS13コルテスにファビオ選手が到着。

差は4分と報告が入る。

やっと追いついた。

まだ諦めているとは思えないので、これからが勝負だ。

今度はファビオ選手のGPSが更新されない。

GPSだけを鵜吞みにするのは危険すぎる。

 

”安全なタイム差は一体どれくらいだろうか。”

ファビオ選手相手にはもちろん、GPS、クルーとも心理戦が繰り広げられた。

私も業を煮やし「ファビオ選手との差を詳しく教えてほしい。あいつ追ってくると思うので。」とクルーに要求した。

クルーは迷いが生じていた。

サポートカーの電波状況だけでなく、データが正しいのかどうか、どれが正しいのかを精査しなければならなかった。

仮に1つ間違っていてライダーに気を抜かれて、追いつかれたらと気が抜けない。

それに、サポートカーが違反しないとも限らない。

違反は1時間のタイム追加だ。

ペナルティ1つで負けが決まる。

結局は、ファビオ選手が止まらない限り、私は休めないのだった。

 

TS13を通過したファビオ選手は休憩をしなかった。

その後4分差が続き、膠着した状態が続いた。

BOOST SHOTを追加。

まともにしゃべるのがしんどくなってきた。

2時間20分も逃げ続けている。

その頃先頭はゴールしたが、私は知る由もなく走り続けていた。

情報が伝えられることなく、走り続けた。

 

 

 

2時間半経過した時点で12分差が付いた。

私もクルーの間にも少し緊張感が和らいだ。

 

 

 

何度か話題にしていたバイク交換が現実味を帯びてきた。

最後はスポンサーをしてもらっている、macchiでゴールしたいというわがままが叶えられる。

そして、やっとまともな食事が食べられる。

提案されたサンドウィッチを断り、ジェル、ゆで卵、フルーツを摂取。

さらに増えて14分になった。実質は10分差だ。

残りのぼり17㎞、500mものぼる。

しかし、私も余裕がない。

もう少しペースを落としてのぼることにした。

勝負がかかっている時点のイーブンペースは難しい。

 

残り46㎞。

ここでBOOST SHOTを投入。

ライダーではなくクルーが。

クルーは3人で交代しているとはいえ、60時間のドライブで疲労している。

差は13分。

「くそぉ、まだ諦めてないんかぁ。」

少しでもペースを落とすと詰められる。

まだまだ気を抜けない。

この差でゴールすると勝ちになるので早く終わってくれ。

クルーから拡声器、生声で激が飛ぶ。

 

「ウィンドブレーカーとレインウェアの準備」

くだりのことを意識し始める。

 

「コーラ」

コーラがなかった。

勝負になると思っていなかったので買っていなかったようだ。

私も本当は寒い夜中に、コーラを欲すると思っていなかった。

 

「この先でバイク変えよう」

予定していた交換か。

まだのぼっていたが、もう頂上なのか。

パーツの付け替えも含めて2分50秒で再スタートした。

 

さて、ファビオ選手とはどこまで詰められているのか。

 

しばらく走るが、一向に下りが見えて来ない。

それどころか追い越す車は、地平線の彼方まで見えていて、カーブで見えなくなっている。

 

「ごめん。もうちょっとそこまで。」

「いや、どこまでや。」

バイクと共に、ウェアも下り用を着てしまったので暑い。

汗をかきすぎると下りで冷えてしまう。

 

クルーが謝罪を申し込んでくる。

私としては交換位置を頂上付近と指定していたのだが、その場所を読み違えたようだ。

先ほどまでサポートカーの車内は興奮していたのが、冷えているのが伝わってくる。

ただ、ファビオ選手との差は18分まで広がっていた。

 

「やったー。安全に行きますねー。」意外と冷静に返す。

下りで動物クラッシュは避けたい。

差の広がりで盛り上がり、のぼりが続くことで盛り下がる。

平地用に仕上げた車体を、登坂用でのぼった後にまだのぼりで使用する。

いつも以上に重たく、さらに長く感じる。

深夜から朝方にかけての攻防は、クルーもライダーも気分を可笑しくさせていた。

 

バイク交換後は14分に縮まる。

実質10分差なので、安全に下れそうだ。

それよりもこのまだまだ続くのぼりをのぼり切らないといけない。

サポートカーは静まり返っており、何も話さない。

 

バイク交換をしてから30分が経過した。

「18分差。白いガードレールのところで頂上。ごめんねー!」

私から「頂上あと1,8㎞先では?」

ライダーの方が把握していた…

 

クルーの意気消沈具合を感じてサポートカーを呼ぶ。

不意に言った言葉は「森脇さんにTボーンステーキをおごってもらいましょう!」だった。

 

「帰って神戸牛もおごりますよ!!!」

「それでこそおちあいだー!」

サポートカーのテンションも持ち直したようだ。

応援コメントも呼び出した。

 

結局その後も30分のぼりが続いた。

残りは21,4㎞を下るだけだ。

安全に下り、コースミスさえしなければ勝てる。

焦る気持ちを抑える。

18分差は変わっていない。

脚は軽い。

 

サポートカーでは反省会、今日のお宿探しが始まっていた。

 

23分差。

ファビオ選手ももう諦めただろう。

下りは思っていたより寒い。

気温は18℃くらいなので、日本では肌寒く感じるくらいだろうか。

だが、距離が長くなるほど、身体が気温変化に耐えにくくなる。

レッグウォーマーはロスタイムになるので、指切りグローブの上から軍手を履く。

 

デュランゴの街に入る。

久しぶりに大きな街に入り、信号が増える。

朝方4時だが、幹線道路にはトラックが増えてきた。

 

 

 

ゴールのサンタ・リカ公園に入り、RAWのゲートをくぐる。

ゴール!!!

喜びはあるものの、勝利が確定するには4分は待たなければならない。

さらに、メディアカーは止まっているが誰もいない。

ゴールチェックをどうしたらよいのかわからない。

取り合えず、メディアカーを起こしてゴールとなり、完走メダルを受け取る。

4分経ってもファビオ選手の姿は見えない。

ようやく勝利を確信することができた。

初出場で総合2位、U-50カテゴリーで優勝という結果を残すことができた。

 

 

 

サポートカーに引き上げ、次の行動に移る。

走り終わったからと言って、終わりではない。

リカバリーの開始だ。

走行中にはカロリーが足りていない実感はあったし、最後の追い込みで相当消費した。

放置するとハンガーノックに陥り、気分不良、立ち眩みがするのだ。

気分が高揚していると、空腹を感じられなくなっていることもある。

ただ、ゴールした実感を感じることは、もう動かなくて良いということだ。

あとは、サポートカーが運んでくれる。

 

 

 

ファビオ選手がゴールしたのは30分ほどしてからだった。

激闘を演じてくれたが、彼の気持ちを想像すると、出迎えには行けなかった。

 

ホテルのチェックインもそうだが、朝食のお店も開いていない。

そのままサポートカーで睡眠をすることになった。

 

 

 

起きた時にはもう日が昇っていた。

といってもまだ午前5時を過ぎたばかりだ。

走行中のように1時間以内の睡眠が染みついているようだ。

 

 

 

 

折角なので、公園を探索する。

クルーはすでに行動していた、というより寝ていないようだ。

頓所クルーは公園を探索していたようだが、森脇チーフは寝ずに仕事をしていたという、仕事熱心さだ。

私は海外の知らない街で公園を散歩し、川辺で寛ぐ。

こんな場面は今までの自分には想像できないので、楽しかった。

 

 

 

祝杯をあげようと、デュランゴで一番早く午前6時オープンのデュランゴ ディナーというお店に行く。

オープンと同時に入ったお店だったが、みるみるお客さんは増えて、カウンター席はみっちりと入った。

地元には親しまれたお店なのだろう。

 

 

 

 

 

コーヒーで乾杯した。

頼んだのは大きなホットケーキ2枚。

蜂蜜をいっぱいかけて、大量のカロリーを取って寝ようと思ったのだ。

 

食事中はやっと休憩の時間として落ち着きを取り戻し、63時間分の会話を取り戻すかのように話をした。

主な話題は、クルーとのコミュニケーション不足による勘違いについて。

この時に修正ができる。

なんだかんだで2時間近くも滞在した。

 

 

予約したハンプトン イン デュランゴホテルに移動した。

チェックインまでの時間を持て余すなぁと思っていたが、清掃が終わり次第、部屋に入れてくれるとのことで、11時前には部屋に入れた。

その前にはホテルのソファーで何度か寝落ちしたが。

ハンガーノック対策にペプシを2本を追加した。

部屋に入ると、Wベッドが2つ。

今日はWベッド1つに男2人ずつのお楽しみタイムだ。

まずはお風呂へ。

湯舟を貯めて、久々のお風呂だ。

 

 

 

今回残った膝裏の傷。

水のボトルと思って頭からかけたら、違った。

そのままにして走っていたら、ベタベタ皮膚同士がぴっぱり合って傷になってしまった。

早く水で流せばよかったのだが、放置している時間が長すぎた。

 

入浴中にハンガーノックに陥る。

ホットケーキとコーラでは5時間も持たなかった。

歩くことすらままならなかったが、出ると誰もいない。

クルーに電話して、食料を持ってきてほしいと頼んだ。

 

 

 

クルーはもう次作業に取り掛かっており、車の中を片付け始めていた。

 

空腹を伴う、飢餓状態の私を見て、ランチに行くことになった。

ついでに洗車もしたが、洗車代はなんとタダだったらしい。

 

 

 

 

 

ランチはアメリカンなピザ。

森脇チーフはピザの前で就寝。

 

 

 

 

私はホテルに戻って昼寝。

クルーは車でお仕事。

サポートカーがレンタカーに戻ってきた。

 

 

 

 

そして、夕食は祝勝会でRAW指定のお店へ。

頓所クルーがいないが、デュランゴの街並みを味わいたいと、一人で町中に出かけて行ってしまった。

お店の閉店時間もあり、どちらか1つしか選択できなかったので、3人でSka Brewingを訪れる。

 

 

 

 

ゴールした時に、ビールチケットをもらったのだ。

翌日に訪れれば、ライダーも多く来るのであろうが、残念ながら明日の朝発つ私たちには今晩しかないのだ。

食が変わり、普段飲まないスープをいただく。

ビールも上手い。

いつもより酔いが回るのが早い。

それでも閉店時間までは楽しんだ。

 

 

 

そして頓所クルーも加わったホテルの部屋では2次会が行われた。

動画や画像を見ながら振り返りで楽しいひと時を過ごした。

 

 

仕事しながら眠りにつく森脇チーフ。

今日もベッドで寝るつもりはないようだ。